阪神淡路大震災でフィリピン被災者救援

Oct 2, 2018

ルスビミンダ(神戸に住むフィリピン人のグループ)や様々な日本人のグループ・個人、マスメディアとの協力と連帯を確立してきた。KAMPIの代表、ローリーさんは大阪に住み、英会話学校に勤務し、ゼネラルユニオンの副委員長でもある。ローリーさんは緊急活動について次のように話した。
「地震の数日後に、ルスビミンダの代表とKAMPIの間で、それぞれの地区で被災したフィリピン人たちのための救援センターをつくることを相談した。この時点で人々は米、水、携帯式ガスポンベ、暖かい衣料、毛布、コーヒー、砂糖、粉ミルクや乳児用品、缶詰、インスタント食品を絶望的なほど必要としていた」と。
1月22日に、春日野道、北野町、長田区、ポートアイランドの4カ所に救援センターが設立された。同28日23時40分に、初の救援隊が4つのセンターに物資を届けるために神戸に向った。トラック1台とバン2台に、フィリピンのサンミゲル社から贈られたフィリピンの簡易調理用の食品60箱、米150キロ、タンク50個の飲料水、毛布、その他の必需品を満戦した。

 

全労協やゼネラルユニオン、外国人地麗情報センター、アリランの会の組織的な協力がなければ、岐初の救援物資を届けることは不可能だっただろうし、85人のフィリピン人たちは危機的的な状態に置かれ続けただろう。NHK京都はこの気高い活動を取材し、翌日夕方のニュースで放映した。

当時、数百ヶ所の避難所には大量の救援物資が送られていたにもかかわらず、外国人労働者、オーバーステイなど未登録の人々は最も基本的な物資を受け取るのが困難だった。情報がないことと、日本人の当局者の敵対的な態度のためである。実際、一部の人々は彼ら。彼女らを人間として扱わなかった。たとえば、避難所となっているある小学校では、教頭が「この救援物資は避難所で生活している人々だけのものだ」と言って、フィリピン人たちに便宜を与えることを拒否した。5人のフィリピン人が衣服をめたとき、この教頭は下着を一人一枚だけ、投げるようにして渡した。サイズさえ確かめなかった。
また、フィリピン人たちが避難所設置されている無料電話を使おうとすると、ある監督者が「この電話は避難所で生活している人々だけのものだ」と言って彼女たちを追い出した。

このような状況の中で、私たちの救援物資は多くのフィリピン人たちから大いに歓迎された。なぜなら、彼ら・彼女らは取り調べられる心配もなく、最も必要としているものを選ぶことができたからである。神戸のフィリピン領事館さえ、大阪のロイヤルホテルへ避難しており、領事館に何かを期待することは全くできなかった。

次の週末の2月4日も23時から、第2次の救援物資が4つのセンターに届けられた。前回よりも多くの物資、特に米と乳児用品が届けられた。4日の深夜から5日の昼にかけて、12月人の日本人ボランティアがKAMP共に、疲れをものともせずに作業して、広範な支援グループによって集められた物資を分配した。この時点で私たちは98人のフィリピン人を支援していた。この活動は2月8日付の毎日新聞でも報道され、月刊誌でも報告された。

仕事の問題が深刻になってきた。現在では多くの外国人労働者が建設現場で雇用されているが、多くの場所では、塵埃や危険廃棄物に対する最低限の保謹もなされていない(防塵マスクや建設現場用の手袋は非常に高価である)。女性について、多くは家政婦(外交官や外国企業の役員が使用者)であるが、雇用主が神戸を離れたために仕事を失った。長田区や須磨区では、小さな靴工場の大部分が倒壊または消失し、何万人もの労働者が仕事を失った。彼ら.彼女らの多くは未登録の外国人労働者である。一部の企業は操業を再開したが、仕事を求める日本人、そして外国人の間で厳しい競争になっている。大部分のエンターテナーも居場所をなくした。外国人労働者が新しい仕事を求めて他の地方へ移るのは容易ではない。彼ら.彼女らはずっと神戸に住み、神戸で働いてきた。工場が焼けて、被災した雇用主と連絡が取れないため賃金を支払われていない外国人もいる。

KAMPIは次のように警告している。「最近、兵庫県警が未登録の外国人の違法性を問わないと決定したと伝えられています。これは本当ではありません。地震の後警察が変ったということはありません。あなたが未登録の外国人で援助を必要としているなら、私たちか他の支援グループに相談してください。警察に行ってはいけない。」と。
県や市当局が、外国人を含むすべての被災者に義援金を分配すると発表していることに関して、ローリーさんは「その一方で彼らは、『大震災の被災者であることを証明する書類を提出』という不可能な条件を設けて、外国人が受け取ることを不可能にしている」と指摘する。多くの未登録の外国人は、当局が求める書類を提出することを望まない。今後の日本での在住に関連するさまざまな理由からである。さらに、あまりにも繁雑な役所の手続きが、申請をためらわせている。

ローリーさんは次のようにも述べている。「私は神戸のフィリピン人たちの心意気に本当に感動しました。みんなが互いに助け合っています。地震は私たちが他の人たちに対して負っている責任について、多くの教訓を与えてくれました。私たちの闘争を支援して誠意をもって活動してくれた日本人のボランティアたちも、非常に心暖まる経験をした、人生の本当の価値を学んだと私たちに語りました。
「すべてのフィリピン人、KAMPIとルスビミンダの救援物資を受け取ったすべての人々に代ってお礼を言います。全労協と大阪教育合同、ゼネラルユニオン、桃山学院高校の先生方、東京外国語大学、アジアクラブ、アリランの会、マスメディア、そして何よりも、全国から私たちのカンパ要請に応えてくれたすべての日本の々に心から感謝します。百万回のありがとう、を言います」と。

 

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