海外進出の草分けとしての松下は、戦後いち早く、大阪と東京の研修センターなどで、多くの外国人スタッフを抱え、来日した技術者や海外転勤者らへの教育をさせてれきた。現在の松下は、大量人員整理が成功?し、大儲けしているが、リストラの嵐が吹き荒れていた02年5月当時、30数名の有期雇用労働者で「ゼネラルユニオン松下電器支部」が結成された。「非正規の月収15%カット」が突然通告されたからであり、それへの反撃を軸に22項目の要求が、松下の中村社長宛に提出されていた。
ところが拒否回答は、信じられない理由であった。それは「契約は雇用でなく、委託請負なので、労基法・労組法・雇用保険・社会保険の法的義務はない。講師は一人親方で、労働者ではない」という驚くべき開き直りであった。組合員達は、「我々は松下に就職した労働者だ。何故、下請けなのだ。松下に採用され、松下の言うとおりに働いてきた」と、寝耳に水の発表にあきれるばかりであった。
これまで、委託=請負である、という説明を、誰一人として聞いた者はいなかった。契約書をよく読みなおすと、「雇用、とも委託とも」も、明記されていないが、この区別は、契約書の文言ではなく、「業務の指揮管理責任がどちらにあるか?」の実態で判断される。ただ、松下も、一貫性があるわけではなく、自信もなかった。ゼネラルユニオンの剣幕に押されてか、「団交はできないが、労使交渉には応じる」という態度であったため、松下社内は「雇用か否か、労働者か否か」で怒鳴りあう場となった。
ゼネラルユニオンからは「雇用、の動かぬ証拠」として、
① 契約書の英語翻訳に、EMPLOYMENT【雇用】と明記
② 松下の社員証交付
③ 「従業員」としてVISA申請
④ 定年がある
⑤ 松下が作業内容や査定を決定
などの証拠を突きつけ、雇用である労働実態をも鋭く指摘した。
松下電器側の反論は、
① 契約書に「雇用」と書かず、収入は「報酬」と表記、
② 源泉徴収はしていない
③ v本人の要望に添ってクラス担当を決定
④ 業務の指揮や拘束は通常の注文程度
で、「雇用的委任だった?」という苦しい内容であった。
企業内の直接雇用を嫌って、アウトソーシングする際、派遣と請負が考えられるが、同じ派遣元業者が両方の送り出しをしている場合が普通である。派遣では、その仕事の「指揮管理権」が派遣先(松下など)にあり、請負(=委託・委任・下請)の場合は、派遣元業者側に指揮管理権(=義務)がある。
ゼネラルユニオンのケースは、松下が、請負会社相手でなく、-人ひとりの労働者を事業主にする「個人請負」に偽装していた。何れの場合でも、松下側の労働法や社会保険の義務をなくし、何時でも契約解除できることを狙った偽装であった。本来、松下が全責任を負う「直接雇用」すべきケースである。
ザル法で有名な派遣法であるが、その「派遣期間終了後、派遣先の直接雇用義務条項」さえ嫌悪する。雇用でも派遣でもない、労働者性否定の請負が横行する理由がここにある。
このままでは、「団交拒否」で松下が訴えられ、労働委員会が「不当労働行為救済」で、労働者性を認定する。加えて、源泉徴収をしないことが国税局に漏れれば、大きなスキャンダルになる。何れにしても、松下が負けるのは確実視された。そこで松下は、02年7月に、ユニオンの諸要求を受諾。さらに03年4月、年間15%のカットを復元し、ユニオンを通じて、全組合員に支払った。
そして、委託=個人請負がなくなるかに見えた。
しかしその後も、松下電器、そして関連子云社は、「請負」に未練を持ち続け、雇用への切替を履行しなかったため、やむなく第2次争議が再開された。怒ったゼネラルユニオンは、ついに「年休の一斉申請運動」に踏みきり、当然ながら、労基署に「労働者性あり、年休拒否は違法」の命令を出させた。それでも会社は当初、「生活依存度の大きい、常勤だけ雇用にする」としたため、このパート差別で再び紛糾。06年夏になってやっと「非常勤も雇用に」と認めたため、やっと基本合意を見た。
しかし労組は追撃の手を緩めず、「これまで雇用を否定してきた責任と賠償」問題の団交が続いた。組合員には、日本語講師の日本人女性もいるが、勤続30年の外国人講師もいる。年休がないだけでなく、健保や年金もない不安定な生活を長期にわたり、余儀なくされてきた。
そして06年9月、とうとう、「全員を雇用とする。勤続年数を踏まえた年休をさかのぼって支給。過去の不利益も償う」旨の労資協定がかわされ、4年間もの「労働者として認めさせる、雇用への闘い」が、ゼネラルユニオンの完全な勝利で解決した。
しかも注目すべきは、外国人講師の決起から始まった闘いが、日本人講師の労組加入に拡大し、争議で獲得した「雇用」は、研修部門のすべての非正規の仲間に適用される、という成果と、運動の拡がりが、実現したのである。会社幹部は言った。「新聞報道で、各社の請負や派遣法違反が社会問題になる直前に、労組の指摘で改善していて助かった。ホッとした」と。