WHY?ゼネラル・ユニオン・ニュース・アーカイブ:1995 ―2012年

Aug 1, 2013

これほどの時間がかかった理由の一つは、古いニュースには長い紛争、組合の会議、オルグ活動などの多くの思い出があるからである。 だが、今やそれが誰にでも見ることができるものとなった。

ご存知のように、我々の組合は「線香花火」ではない。我々には長い歴史があり、それはとりわけ困難な長い歴史であった。 どうか我々のニュース・アーカイブ全体に目を通してほしい! (

日本語のページは通常偶数ページの後部に掲載) これを読めば1995年から2012年を通して、数多くの興味深い組合の歴史を目の当たりにすることであろう。≪GEOS 、日米外語学院紛争≫これらは組合たたきに対して戦う二つの大きな紛争であり、民間語学産業で諸問題に取り組む力として我々の組合が勝ち取った名声と大いに関係があるものであった。

民間語学産業全体を通して労働条件の改善を戦い取ろうとする我々の組合の取り組みについてのニュースを読むことができるであろう。 少し例を挙げるだけでも、ベルリッツ、ECC、リンガフォンの紛争がある。

1990年代後半と2000年代の初めには、東大阪市と西宮市教育委員会での契約期間制限についての紛争に始まり、ゼネラル・ユニオンの存在感が増し始めたことが分かるであろう。 さらに読み進めば、立命館大学での我々の闘争とストライキを含めて、複数の大学における組合の勝利とキャンペーンがさらに明らかになるであろう。

2002年までには、ゼネラル・ユニオンは姉妹ユニオンの全国一般労働東京南部組合、福岡・熊本ゼネラル・ユニオン、仙台語学講師組合と共に、共同して全国ニュースレターの発行を行うようになった。 ≪ナショナル・ユニオン・ヴォイス≫が生まれて、多くの勝利や戦略や紛争を共有し我々のつながりはますます緊密なものとなった。

2000年代中頃になって組合員、非組合員に関わらずインターネットでニュースを配信することの重要性が高まり、この結果印刷物によるニュース配信は減少した。 これ以前には印刷物によるニュース配信の回数は年間6~8回であったことを知り私はとても驚いている。しかし、私は、この数年間を経てその質が向上したのではないかと楽観している。外観だけでなく、中身においてもそうであると考えている。

私は1995年の7月に≪ゼネラル・ユニオン・ニュース≫として後に知られことになるニュースレターの第1号のレイアウト作成を手伝ったことを思い出す。今振り返れば、見れば分かるように、当時はニュースの体裁がどうあるべきかについてまったく分からなかった。 最も長期にわたりニュース編集に携わった者として、私は皆さんが過去のニュースを読み、2013年9月に始まるカラー版をも読んで頂きたいと思っている。

ゼネラル・ユニオンは、この試みが組合員各位ににニュースを提供し続けると共に、新しく組合員となる可能性のある人々にとってもさらに魅力的なものとなることを願っている。組合員は今後マガジン・リーダーでニュースをオンラインで読むかあるいは郵便で手にするかを選択できるようになるだろう。 書記長 デニス・テソラット

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