ゼネラルユニオンの歩み – 小史

1月 1, 2003

雇用形態・性別・国籍などにかかわらず,誰でも一人から入れる労働組合 報告者=井須 奈穂子(ゼネラルユニオン・執行委員)

ゼネラルユニオンの結成の1991年当時,総評が解散し,男性・日本人・正職員のエゴのような御用労組の「連合」が主流となり,パート女性や,公務員臨職・中小企業などの人たちが期待できる労組は,全労協など,数えるほどになってしまった.

また,国籍を問わず,日本人でも,外国人でも入れる,そういう不安定・非正規雇用の人たちの受け皿として,個人加盟=一人でも入れる組合が構想された.

90年に私は,永年住んだイギリスから大阪に帰ってきて,山原克二さんと会い,ゼネラルユニオンの創立時より参加した.

まもなく大阪で,つれあいのサイモンが英会話学校で英語を教える仕事についたが,そこが給料の遅配のすえ,閉鎖されてしまった.次の幼児英会話の仕事についたが,ある日レッスンに行くと,自宅待機を命じられ,首を切られた.一方,同じ会社のオーストラリア人の女性たちが相談に来た.「退職したいのだが,無断欠勤=損害賠償と攻められる.」と,ユニオンに相談があった.何れも,ゼネラルユニオンが頑張り,ハッピーエンドとなった.

そこで,この乱脈な英会話業界をただすキャンペーンをしようと,なった.反響は大きかった.最初は駆け込み寺的な労働条件の相談があり,やがて同じ職場に何人もの組合員が誕生し,各ユニオン支部が結成されていった.92〜93年に阪南大学.三重のアサヒ外語学院・ミカドプロペラ【フィリピン人工場労働者】,ベルリッツ,,,.その後も各地で支部結成が続いた.

93年にできた,インタラック支部は,講師を派遣する企業であった.講師側は長い拘束時間のわりに,何の保障もなされていなかった.組合つぶしもあり,テレビや全国紙のメディアにも,ストやデモ,得意先抗議などが,大きく取り上げられた.最終的にストで解雇を撤回させ,勝利解決した.

94年にNOVAの難波校で働く非組合員が大麻で逮捕され,外国人講師全員に薬物検査をすると会社が発表した.その同意書のサインを拒否できるかの相談で,ゼネラルユニオンに事務所に200名ものNOVA講師が殺到した.そして多くが組合に加盟し,検査の強行を阻止した.しかし会社は,この薬物検査条項を労働契約に挿入し,人権擁護委員会の勧告に再び違反し,現在に至っている.

バブル崩壊後,英会話学校が倒産するような,バイリンガルやアトニーのケースも発生し,未払労働債権の立替払や,雇用保険のさかのぼっての加入,などの制度も活用し始めた.また業界にモラル向上と再発防止,政府には消費者保護法制定を要求していった.

アトニーでは94年,組合員がテレビのインタビューに出たということで,会社社長から襲撃される傷害事件もあった.バイリンガルの倒産では,雇用保険に入っていなかったので,全員さかのぼっての加入を実現させた.

97年トーザが倒産.そのときは,事務職スタッフも組合に加入し,社会保険や税金,そしてハローワークや入管などの諸手続が簡単にできた.同年,リープ(吹田)倒産と同様に,被害生徒会が,OL・ビジネスマン・主婦・学生らで結成され,組合と生徒が共に立ち上がった.そして「ソサエティ21」という英会話自主レッスンも,梅田と吹田に開講され,現在に至っている.

ジオスの争議(96年.デニス氏解雇撤回.99年女性スタッフの残業手当支給.何れも会社敗訴)などが大きな契機になり,その後,ECCやYMCAなど全国展開の英会話学校で争議も拡大した.その結果,以降数年の間で全国大手のすべてに,ゼネラルユニオンの支部ができ,全社の有給休暇制度や雇用保険加入が実現した.こうして,ゼネラルユニオンも全国化し,知名度が上がり,使用者に恐れられ,労働者に信頼されるようになった.

東大阪教育委員会の雇い止めケースは,採用時に何もいわないのに,契約は最高3年限りと,突然言われる不当なものであった.ハンストや市長交渉までやり,97年に雇用限度の延長と教育長の解任で終わった.

しかし,2002年,西宮市教委での同様のケースでは,粘り強い団交で,5年の雇用=更新年限を完全撤廃させることに成功した.

日米英語学院では,悪質な組合つぶしや脱退工作・組合員への差別など,露骨な不当労働行為に対し,97年以来,連日の指名スト,時限ストなどに加えて,生徒会結成,地労委・裁判提訴など,ありとあらゆる争議行為により,原職復帰などの全面勝利を勝ち取った.しかし懲りない日米の会社は,今も,春闘や賃上げに対する嫌がらせを続けている.

2000年,京都にできたゼネラルユニオン日仏学館支部を否認したため,雇用主のフランス政府を,大阪府地方労働委員会【地労委】に提訴.「在日フランス人組合員がシラク大統領を訴え」と大きく報道された.そして,「政府からユニオン宛の謝罪文」もかちとり,雇用継続にも成功して解決をみた.

2002年には,ゼネラルユニオン・松下電器支部が結成された.賃金カットやアウトオブソーシングのリストラ,そして,契約の「委任=委託化」に反対して,勤続30年の仲間を先頭に,40名もの組合員講師が闘い,勝利した.

これまでゼネラルユニオンの労働相談の扉をたたいた人は,何万人にものぼり,組合に加盟した人だけでも,数千人にものぼるだろう.こうした一人一人の人たちが力を出し合ってがんばった成果は今,大きく開花している.また,ユニオンは,共同の場=コミュニティとしても社会に浸透し,労働者自身による活動.リーダー・活動家やボランティア相談員養成の原動力にもなっている.一つ一つのケースを通して一緒に勉強していき,これからも共に支え合っていかねばならない.

 

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