Month: October 2018

  • Home
  • 労組周辺動向 No.46 2018年10月19日現在

ゼネラルユニオンがマリスト国際学校の不当労働行為を大阪府労働委員会に訴え

2018年10月9日、ゼネラルユニオンはマリスト国際学校による労働組合法第7条違反行為を大阪府労働委員会に申し立てた。 同校が産休明けに仕事に復帰した教師との契約更新を合理的理由なしに拒否したことから、ゼネラルユニオンはこの申し立てに至る数か月に渡って、この件に関する団体交渉を同校に求めてきたが同校はこれを受け入れなかった。 この教師との契約更新が無期雇用契約への転換へと至ることを同校は嫌い、合理的な理由なしに契約を終了させのだとゼネラルユニオンは見ている。同校が「仕事上の問題」として挙げている点について、この教師はこれまで一度も警告などを受けたことさえないのである。

スワニー争議勝利へ―日韓両社の謝罪文かちとる

会社は追い詰められているが、その後、労組の追求が威圧的だと、本社にバリケードを構築し、団交開催の10条件なるものを提案し、交渉を拒否してきたてきた。それは、「交渉は2時間程度・誹誇中傷の言動禁止・会社弁護士出席」など常識外れの内容である。以降再三の団交要求に対し、すべて拒否してきた。この段階から、香川で最も悪名高い白川好春という争議ゴロの弁謹士が指導と介入を開始。今後は、彼の団交出席をめぐる攻防となった。 しかし、労組と支援は1月19日に上京。通産省との交渉後、土井たか子社会党委員長より激励。また、香川県総評や大川地区労が、香川県や白鳥町への働きかけるなど全力支援を続けた。また、社長一族が大本教の幹部であり、大本教がスワニーの株主であることで、京都府亀岡市・綾部市の教団本部への抗議行動も拡大。手袋の不買運動や法的手段も始まった。香川・徳島・高知・愛媛・大阪・京都と連帯の輪もひろがり、争議団も各集会・交流会を駆け回っている。いずれの会場も満員で、日系企業の横暴を許してきた日本の責任と連帯活動の討議が夜更けまで続いている。 しかし、1月20日の門前決起集会と香川県白鳥町内の大規模デモを背景に、会社から「解雇撤回・未払賃金支払」を提示させることに成功した。そしてついに、スワニーの三好社長はついに亜細亜スワニー労組と韓国民に謝罪した。しかも謝罪文(別掲)は日本スワニーと亜細亜スワニー連名で署名であった。組合員が通っていた定時制学校への「復学=在職証明と授業料支払い」や、「失火」をデッチあげられ今なお拘束されている労組文化部長の「釈放嘆願書」と合わせ、すべて本社から現地(工場・学校・労働部・警察など各方面)へ送付させることができた。 謝罪文亜細亜スワニー労働組合 委員長楊喜淑殿このたびの亜細亜スワニーの閉鎖に際し、労働法及び団体協約に違反して廃業通告をしたために、217名の社員に苦痛を与えることになりました。私は、このことによって発生した問題の根本的責任を受け止め、亜細亜スワニー労働者、並びに大韓民国国民の皆様に心より謝罪致します。今後は、団体協約を尊守するとともに、誠実な団体交渉を継続し、本件解決の責任をはたします。1990年1月15日㈱亜細亜スワニー㈱スワニー  

多国籍企業と韓国3労組の来日争議の意味するもの

日本がエコノミックアニマルと言われ久しいが、日本資本の悪名はアジアの隅々まで際限なく広がってきている。あまり聞き慣れない世界のどんな小さな国にでも、必ず日本商社が存在し、「伊藤忠・トヨタ・パナソニック」が反乱している。その国の人々が日本人に出会うのは、商社マンや進出企業の管理職であり、何でも円の札束で買ってしまう「金満日本」のイメージが定着してきている。ある大学で「アジアの中の日本の役割」と質問したら、「帝国主義」「新植民地主義」の言葉に馴染んでいない学生たちが、熱帯雨林や割箸の話などをスラスラと答えるそうだ。ちょっと昔に、アジアを訪問した人達が、必死になって語ったアジアの実態と日本資本の罪状、それらは今、運動体の共通の認識であるだけでなく、マスコミ報道などを通して常識となっている。問題はそれを黙認してはならないということではないだろう。伝えること・知ることから始まった国際連帯は、今「その構造をどう変革するか」を示し、そのためのアクションを起こさないと何にもならない時期にきている。 日系進出企業はさらにアジアのあらゆる所に切り込み、地域社会をズタズタにしている。現地政府は国土を売渡して低賃金地帯を作り、日本企業はそれを求めて国境を越える。日本政府・財界はそれを規制するどころか、逆に安易な進出をあおり、トラブルの責任をとろうとはしない。資本の「ボーダレス」に対抗する、民衆の監視と規制が今、必要だ。 日本からの洪水輸出は、自動車や電機だけではない、進出企業を通じて、公害・労災やQCなどの日本型労務管理まで輸出してきている。過労死や朝礼やラジオ体操・制服・査定考課・サービス残業など、われわれが当たり前としていることに、アジアの人々は「人間のすることではない。まるで軍隊みたい。御用労組ばかりか」と反発している。ハンスト中の韓国TND労組・スミダ電機・スワニーや新白砂電機・ミツミ電機などが、韓国・台湾・フィリピンなどへ進出し、大儲けをしてきた「輸出自由地域」とは、資本家の自由地域であり、「アジアの中の日本」でもある。 「高度成長」を謳歌していた70年代にほとんどの進出企業が海外に基盤をつくり、そのホコ先の中心は、アジアの輸出自由地域であった。それは輸出加工区【free export process zone】とよばれ、特恵関税だけでなく、治外法権的な法制(労組結成や争議の制限)もまかり通る「現代の租界」ともいうべき地域である。もちろん、外資や進出企業は、どんな国の、どんな地方にまで魔手を伸ばしているが、輸出自由地域は、売国的な国策として外資と自国労働者を引き合わせ、「輸出自由」どころか、3K労働(危険。汚い.きつい)強要ばかりでなく、解雇や労組つぶしまで、まるで「資本家の自由」を、政府と行政が承認又は黙認してきた象徴であった。 日韓条約の内実でもあるこれらの流れに、日本の政治運動も労組も無自覚であった。当時の朴政権と三井物産・三菱商事などの利権をかけた、輸出自由地域造成のプロジェクトや、日本政府側が「そこでの労働争議を厳禁する措置」を申入れてきたことも、容認できない経過であった。商社や銀行・鉄鋼独占は、「低賃金でよく働く、労組もない」と宣伝し、野心的資本の進出をあおった。日本の労組は「高度成長下の大幅賃上げに酔っており、進出に賛成か、無関心であった。74-78年の全金東大阪の韓国進出との闘いが、貴重な問題提起であった。こうして進出に対処しきれなかった我々は、10-15年後の今、「撤退反対」で連帯している矛盾を痛苦に振り返らざるを得ない。怒れる各国の民衆が続々と来日し始めている。が、日本本社と商社は、不誠実な交渉拒否をくりかえしている。 責任をとるべき日本政府も知らぬ顔をしている。日本の大半の労働組合も同様であり、時として自らの勤務する会社が糾弾されれば、企業防衛にだって走り、アジア民衆に対する排除ピケだってはりかねない。アジアの民衆と本社前でスクラムを組んで、共に体を張れる日本の運動づくりが求められている。  かくして韓国3労組が争議団として日本に降り立った。外国の労組がこうした形で揃って来日したのは、もちろん初めてであった。国際交流や報告のためにきたのではなく、目的は、敵である日本本社と闘い、勝利するためであった。現地での出陣式から出征してきたと言う代表団の大半が20歳前後の若い女性であったことや、現地の仲間の期待をになってがんばった3労組の元気な闘いぶりが、日本全国から熱く注目された。「アジアと共に生き、共に闘う」を実践するのは至難のわざであり、そして試行錯誤も少なくなかったが、はるかに力埜を越える連帯行動に格闘した支援戦線の側の教訓も大きいものがある。 しかし、これを単なる国際連帯の1ページとしてだけに収めるわけにはいかない。突然の来日といった偶然の出会いは、歴史的必然そのものでもある。それゆえ、彼女らの来日全体の目的と位置をしっかり受け止めることが大切ではなかろうか。もちろん争議であるから、ファクシミリに象徴される不当解雇の撤回、操業再開、生存権対策など、現地で決めた要求書の内容に、どう資本を追い込み、当該労組主導で獲得―解決できたかが大切である。だが労組や韓国民主労組が「どういう思いを持って来日を決断したか」ということ、すなわち来日闘争全体の目的と意義は、もっと広範囲であった。 日本資本の韓国労働者への真禦な謝罪、進出企業問題全体についての日本政府の態度と日本世論へのアプローチ、日韓労働者連帯の構築などであろう。それら全体にわたる前進は数えきれないが、かなり膨大かつ未完な問題提起と言わざるを得ない。こんな形での解雇は日本国内で許されるだろうか、いや、そこに進出先では何をしてもよいという民族差別があり、労働組合敵視も見受けられる。のため、争議団は労働者の尊厳をかけて闘いを開始し、労働者蔑視への謝罪と、生存権確保を求めることとなった。 そして各労組や現地労働者の様々な気持ちも集約しつつ、今年1月結成の韓国全労協や、昨年11月結成の「外労共闘委」(外国資本不当撤収・集団解雇および労組弾圧粉砕共同闘争委員会)も、今回の解雇と来日に相前後して結成された。外労共闘委は日本を射程に入れた韓国全土の争議団共闘であり、そこまで、韓国労働運動は組織され、またそこまで日本本社総体がターゲットになっている現実がある。それほど今回の撤退がらみの集団解雇の連続は緊急であり、大問題であった。しかし、闘いの真っ最中での素晴らしい陣型づくりでもあった。帰国後現在も、他の進出企業労働者のおかれている状況を考えると、これら緊張関係は厳しく続いているといえる。来日の成果について興味深い事例を紹介しよう。争議が相前後して解決し、三労組や、韓国全労協も「勝利宣言」をした。韓国の各現地でも、それぞれの代表団、そして日本の支援戦線が熱烈歓迎され、「画期的な韓日労働者連帯」との高い評価を受けている。ハギョレ新聞など韓国のマスコミでも、「日本の良心的労働者が支援と世論づくりでがんばった」と、おそらく史上初めての好意的報道を繰り返した。一方、日本出発前の労組員の不安の内容を聞いてみると、「日本には鬼しか住んでいない。皆んな冷たい人ばかりで支援なんかあるハズがない」「日本の労組は皆んな『連合』という御用組合で、連帯は困難だ」といったものであったらしい。それゆえ、代表団は、支援がなく孤立してでも、自分たちで泊まる所を捜して闘うといった悲壮な決意で、短期VISAで来日したという。馬山や裡里からの手紙は、「こんなに支援があるとは想像もしなかった」との感謝が書き綴られている。当該労組が「勝利だ。支援に感謝する」と言ってくれていることにホッとするわけだが、われわれも三労組と同じ調子で「勝利した」とは言いがたい。「まさか日本でこれほど支援があるとは……」と思われていたようであり、そうした従来の、うすら寒い状熊からみると、国際連帯が想像をはるかに越えて前進したと押えておこう。日本の支援戦線はとにかく予想以上に拡がった。どこかの政党やナショナルセンターの御墨付があったわけでもないのに、来日以来、ほとんど口コミに近い形でありながら、かつ横断的に結集していった。普通の労組・地区労・在日民族団体・女性団体・宗教人、そしてあらゆる市民運動団体、そして個人といった形であり、画期的なことであった。反面、それぞれの熱意も多様であり、方針や目的が完全に一致していることが前提でもなかった。それゆえ、当該労組の思いを受けとめ、悪どい経営者をやっつける、ということで広範な支援の足並みとした。 必ずしも確固とした支援の前提があって始まったのではないが、大切な認識のポイントは、彼女らが日本に来たのは、いくつかの不本意な結果が生んだものであるということである。まず、われわれ日本サイドは、まったくと言っていいほど、当時の日系企業の進出そのものや、これまでの悪質な操業と管理を規制してこなかった。それどころか、今回の解雇についても、事前には十分チェックできず阻止できなかった。さらに、本来なら、社長と責任者が韓国現地で団交を開催し、謝罪するのが原則であるハズである。これらの歴史的な日本側の責任は大きく、そのツケが多援のアプローチに基づいて、連帯の総括も何通りもあってしかるべきであろう。数ある成果と問題点はそれぞれがしっかり把握し、今後の連帯の機会に持ち寄りたいものだ。 多くの労組員や家族を現地に置いたままで、警察や入管の弾圧にさらされながら、異国の地での3争議団の苦闘になってしまったということを、肝に銘じる必要がある。すなわち、目の前に争議団が来て始まる連帯というのは、取り返しのつかない遅れである。矛身を一身に背負った彼女らの奮闘で、資本に鉄槌を加えることができたとはいえ、もっと以前から継続的に監視し、情報交換や交流ができていればと、我々の過去を振り返らざるを得ない。 現に進出している企業の義務は、「その国の社会で多くの労働者を雇い、家族ともども生活を保護することを含め、雇用と生活確保がますます重大となってきている」責任であろう。だが、企業は特恵税制の終了・インフレと元(ウォン)高・物価上昇、労組結成と賃上げなどを嫌い、「撤退」という名の企業閉鎖―全員解雇を、法律や労働協約これらの遅れを挽回し、進出企業問題全体について、今後継続的に取組むことができれば、今回の来日闘争の成果や総括が、より鮮明となるのではないだろうか。 また、三労組は「氷山の一角」であるとよく言われる。我々は新植民地主義的な進出に反対するが、すでに進出している日系企業が、こうした手前勝手な理由で無責任に撤退することも決して容認してはならない。「進出と撤退」は、国ごとに各社ごとに時差をもちながら、同時進行している。NIESからの撤退と東南アジアへの進出が現在主流であるが、それを資本主義の法則のみに委ねてはならない。こうした立体的状況に即したアジア全体の監視体制をスタートさせよう。、外労闘委結成以降も、日系だけではない各国の9争議団が参加している。その一つの米資本企業「韓国ピコ」は、89年2月に300人を解雇のうえ撤退したが、90年4月に労組代表団が渡米し、いまだ正式の団交も開かれてない中で、7月にはニューヨークでハンストにも突入し頑張っている。そればかりではない。馬山だけ見ても韓国東京電子・韓国シチズン・韓国東京電波などの労働者に、日本への撤退のオドシが続き、「徹底しないかわりに」と大量の首切りや、民主労組の御用労組への変質策動があとをたたない。それら攻防中の労組すべて来日するものではなく、また、今回の争議で撤退の流れにブレーキをかけることができたかもしれないが、ストップしたとも言えない流動的な状況に突入している。 スミダ電気やスワニー社が、ファックス一枚で日本から解雇してきた時、韓国労働者は激怒したが、馬山の各経営者はそれを最大限利用し、当初、労働者側も「こんな簡単に撤退が?」と激しく動揺し、合理化と労組弱体化が進行したそうである。しかし、争議団が鑓城を開始し、日本大使館・輸出自由地域事務所・銀行などへの抗議を開始し、ついに日本で本社を追い詰めるにいたって状況は一変した。すなわち、これまで「日本へ帰る」というのは、経営者の労働者への撤退=企業閉鎖の脅迫そのものであった。しかし、今は違う。「日本へ行くぞ」という言葉は、国そしてアジアの悪質日系企業を震え上がらせるに十分な、したたかな労働者の叫びとなってきている。それぐらいスミダ電気・スワニー・タナシン電気の経営者は断罪され、社会的な制裁をうけた。少なくとも今後、こうした日系企業による不法不当な一方的撤退の強行は相当困難になったことは確かである。よく似た状況が各国に存在するため、今回の3労組の闘いと日韓国際連帯が、アジア各地へも大きく波及していっている。今、それは各国での日系資本と、現地労組との新たな段階での攻防となっている。台湾の例にあるように、資本家たちも、今回の争議を教訓化して、一旦地元の民族資本に売却したり、工場閉鎖手続きを「繊密かつ合法的?」にやったり、労組への懐柔策を強化したりしてくることも考えられる。 今年3月のスワニー争議の解決調印式の記者会見の際、三好社長が白々しく「これからは現地にとけ込む経営を」と言ったのに対し、労組の楊委員長は「今度、中国から撤退したら許さない」と宣言した。もともと中国のスワニーは自分たちの雇用を奪い、閉鎖の原因をつくった忌まわしい工場であるが、争議解決時に、このような追及をきっちり資本にぶつけるというのは何という素晴らしい国際的な感覚なのだろう。最近になって日本政府は、「日系企業のトラブル」と言い出したが、本気で対策をする意思も体制もない。例えば、3労組が各省庁に要請してまわったが「この種の進出企業の問題は、民間団体に任せてあり、日本政府としても、その所轄が、外務省か通産省か労働省かよくわからない。外国で起きたことは外国で解決して欲しい。大使館が窓口かもl」といったヒドイ態度であった。 日本の運動体も、外国の労組の応援団の立場だけでは無資任であり、「次はどこの労組が来日するか」という関心だけでは、主体性にとぼしい。為替差益や賃金・労働条件の差異をつくり出し、利用しつくしている日系資本を、アジア全体の「監視と糾弾のネットワーク」で包囲することによって、韓国・台湾・香港から撤退し、中国・タイ・スリランカ・バングラディシュ・ビルマなどに逃げ込むという「渡り鳥」に終止符をうたればならない。…

再訪レポート「その後の馬山加工区」25年ぶり再訪

1985年からの韓国馬山「輸出自由地域」をめぐる全金東大阪の地域―争議、1990年からの韓国3労組の日本遠征争議以降、国境を越えた来日国際争議が連続した。アメリカのブリジストーン・ファイアストーン、LAのホテルニューオータニ、NYのオイスターバー、フィリピントヨタ、韓国シチズン、韓国オムロンの各労組などであり、それぞれ、日本本社に攻め上り、多国籍争議で多くの成果を得た。ゼネラルユニオンも、当該の関西での出撃拠点として出会いを重ねてきた。 そして04年3月末、勝利解決をみた韓国シチズン労組の招待により、山原委員長が、韓国現地報告集会・日韓共同シンポに参加することができた。日本本社との団交・弾圧対策・日本遠征の位置づけ等、たいへん熱心な討論が交わされた。厳しい状況にあった時「スミダやスワニーのように日本へ行って闘おう」が、当該に合言葉になっていた。だが渡日だけでは争議は解決しない。馬山での共同総括は、今後さらに続くであろう多国籍争議の指針になりうるものだった。 東大阪争議の5年後で、戒厳令下で訪問も困難であったの交流も危険であった1984年、私【山原】は「馬山輸出自由地域」ゲートの武装兵士の銃剣にたじろぎながら、中へ中へと潜入していった。各進出企業の絵図面と、操業・撤退の状況が知りたかったからだ。というのは、私がオルグをしていた総評全国金属傘下の各社が、日韓両政府や商社・ジェトロなどの「馬山ではスト禁止・賃金は日本の10分の1」という口車に乗せられ、集団で工場進出していたからである。だがその時既に、特恵待遇も終わり、撤退や賃金未払問題も出始めていた。労組はなくとも、自然発生的ストは多発していた。日本での争議のためにも、韓国労働者の状況を含めた現地情報が不可欠であり、三井物産や日商岩井など背景資本との闘いに大いに役立ったのである。 「租界」と呼ばれた馬山でも、87年の釜山馬山民衆決起で「外国人投資企業特例法」が廃止、労組が合法となり、90年の3争議団来日となった。今回のシンポでは、元スミダ副委員長の朴性姫【パク・ソンヒ】さんと14年ぶりに再会でき喜び合った。彼女は現在、全国女性労組慶南支部事務局長で大活躍している。今回、輸出自由地域内で民主労組に加盟している「産研=サンケン、本社埼玉」と「ウエスト電気、本社=大阪」の職場を訪問した。ウエスト電気は93年、撤退や閉鎖の脅迫に屈せず、私たちの松下電気本社抗議も加勢し勝利した労組である。両労組とも「今は問題はない」と笑っておられた【が、後年、産研日本遠征争議となり、関東での共闘となった】。居合わせた民主労総もタンビョンホ民主労総委員長も「日本での争議支援に感謝します」と挨拶された。 今回の私は、95年当時のスパイのように危険を犯さなくとも、堂々と韓国政府労働庁の「輸出自由地域管理院」を訪問できた。所長に「投資先をお探しですか」と聞かれ、「いいえ、調査・研究です」と答えたのだが、日本本社の無責任さや、「手の打ちようのない中国移転」の話題で意気投合し、貴重な資料をたくさん得る結果となった。滞在中、サンヨーやSONYの電子・電気・精密が中心の工業地帯内各社をくまなくチェックした。空家はところどころに目立ち、生産ラインは次々にアジアに移転し、減量リストラが進行していた。最盛時87年に3万6千人いた労働者が、03年には1万1千人に激減している。この一両年に10社が山東省など中国に移転し、その半数が日系だそうだ(暴虐な日本と韓国の企業への中国労働者の争議も多発しているという)。現在、全77社の内、40社が日系。遅れて参入が認められた韓国資本は28社である。NOKⅠAのような新規操業もあったが、労組は27社しかなく、それも韓国労総が中心であった。私にとって「ここが、スミダやシチズンの跡、東大阪市大鵬産業の後、その後の、馬山鋼管も閉鎖」という説明は走馬灯のようでつらかった。 「韓国労働法見直しを」と、干渉する日本側にさえ、韓国側は日韓投資協定で投資を促している。日本どころか、韓国資本もナダレをうって中国に移転している現況にブレーキをかけるのは難しい。反WTOや投資協定反対闘争では、日韓相互間のみならず、両国のアジア進出に対するグローバルな規制が必要であろう。現在の馬山輸出自由地域の平均月収は約20万円(馬山市18万円・慶南道13万円)との説明をうけたが、それでも中国の何倍になるのか…。アジアの「同一価値労働同一賃金」を実現しないと、こうした問題は解決しない。「低賃金と労組禁止」地域を求めてさまよう「渡り鳥企業」は、争議困難な中国が「資本家のパラダイス」だとして、そこに集結している。 シンポで「中国のへ無責任な逃亡をどう止めるか?」と問われ、私は、「改革開放は、何億というプロレタリアートを生み出している。中国は労組禁止でも、スト件数は世界1だ。韓国の歩んできた道と同じだ。中国の民主労組結成を」と、ついパネルから叫んでしまった。昔、ある会社の社長は団交で、「低賃金でも勤勉に働く韓国労働者を恨め」と言い放ったし、中国のスワニーやシチズンは、自分たちの雇用を奪ったかもしれない。だが国際争議は「誰が共通の敵か」を教えてくれた。スワニーの楊委員長は解決調印の時、「今度、中国から撤退したら許さない」などと社長に宣言した。こうした国際連帯の経験から、東大阪以来の我々のスローガンも「浸出反対から無責任撤退反対」に様変わりした。全力をあげて悪質多国籍資本を追っかけ、どこの国であれ閉鎖や解雇の報に接したら、直ちに東京やソウルの本社に押しかけよう。会社側は今まで「権利主張するなら撤退し日本に帰るぞ」と、労組にオドシをかけてきたが、最近では「それなら日本本社に行って闘うぞ」と、会社に迫ることもできるようになった。 私たちは、日系多国籍企業の監視を怠ってきた。それゆえ、日本資本が突然、全員解雇を宣言して、日本や外国に逃亡する例が後を絶たず、外国労組の日本遠征闘争を余儀なくさせてきた。だが、労組員や家族を残したまま、警察や入管の弾圧にさらされながら苦闘するのは不本意であろうし、日本に「争議団が来てから連帯が始まる」というのは遅きに失する。平素からの情報交換や、共同の作戦会議やSNSやホームページなど、現代ではすべて可能である。「日本にもこれらを全力で受けとめ連帯するまともな労組と国際連帯があるんだ」と、アジアの労働者に届くよう、宣言しようではありませんか。  

韓国馬山加工区進出に抗する全金枚岡争議団共闘

総評全国金属労組【全金大阪】の先進的地域である枚岡ブロックに対して、今、日経連―関経協より集中攻撃がかかっている。特に全国シェア4割という地場産業の線材【針金・釘等】労働者に対して、韓国への工場進出をテコとした本社工場閉鎖の倒産攻撃が続いている。全金枚岡15支部の内、線材4社が倒産争議となり、地域争議団共闘への支援が、大阪総評や全金大阪あげて開始されている。この背景となる「構造不況論」は、高炉カルテルでの原材料高騰と、韓国からの逆輸入という本質を覆い隠し、「韓国【実は進出日本企業】からの追い上げ」という排外主義的宣伝で、我々に迫ってきている。我々は、各社24時間の工場占拠だけではなく、15支部の中全社の「地域連帯スト」も貫徹した。 調査活動の中で、韓国馬山市の「輸出自由地域」という「租界」に日本企業が104社も進出し、民族差別と人権抑圧の搾取をしていることが判明した。本社を閉鎖し、自分を解雇した社長が、韓国でも線材労働者を弾圧している。この集団進出という政治利権がらみの大プロジェクトの仕掛人は、三井物産や日商岩井であり、我々が背景資本として対決しているのと同じ敵である。争議団は明碓にこれらの木質をつかむことができた。東大阪で頑張っている、在日韓国人政治犯11・22事件の李東石さんを救援する会や日韓労働者の連帯組織が、大阪総評東部地区評や全金東地協とともに、昨年3月3日と今年4月13日に大集会を広範に成功させ、3・3実行委は、韓国現地の状況調査を含めて、その後も活動が継続され、労組・在日団体・日韓戦線などの共同行動を続けている。 争議団は同じ地域で労働者管理をしている、布施自動車教習所や、南大阪の争議経験に学び、争議当該の生活確保の行政闘争に乗り出した。政府与野党合意の雇用法案がすべて独占大企業本位であり、「解雇をのめばゼニが出る=解雇促進」のしろもので、闘争破壊以外何者でもない。その後、雇用保険の個別延長や労働債権立替払制度などの「係争中の仮給付」などを実現できた。住民税・年金・健保料等の減免猶予と資格維持も行政闘争で可能となった。争議中の組合員とその家族に対する生活保護についても、申請者全員が適用され、多くの自治体へも波及していっている。 東大阪の官公労の仲間が、すでに職場を去った線材労働者の全家庭(関西・九州等359軒)を訪問し、追跡調査で「希望」退職や失業中の生活、再就職の実態を浮彫りにした。その際調査員(活動家集団)が失業者にアドバイスしたのが、税減免等の社会的権利であった。争議の経験が完全にここで生かされ組織化に役立った。 我々は「争議中のアルバイトを紹介せよ、失業者に仕事をつくれ」と行政に追求していたのだが、4月より「東大阪市雇用開発センター」という公社と、我々側の「失業者同盟」を設立させることができた。雇用創出事業というと、独占資本のみにカネが落ちたりして、決して雇用確保につながらない。各政党がうち出しているマクロ的雇用法案も、それを直接労働者に手渡す機関がないと意味がない。東大阪市では、市が広報等で失業者にセンターへの登録をよびかけ、その人に自治体・公共団体・民間が起こす事業=仕事を手渡す方法をとる。    

労働運動の大義とは何か:全国労働者討論集会と労働情報誌創刊にあたって

いま根本的に問われているのは、まず第一に、労働組合の存在意義とは何なのかということだと思う。労働組合の価植基準とは何なのか、あるいは、いわゆる「ゼニカネを越える思想」が問われているのではないかと言ってもいい。われわれが反合闘争、政治闘争を口にする場合、ただ単に「階級的に進めてゆく」というのでなく.労働組合の価値、三塁塚にならっていえば、”労働運動の大義“ともいうべきものはいったい何だと言い切れるのか、ということだ。結局のところ、そこがあいまいだと敗北するし、またそこのあいまいさが個別闘争の域をなかなか抜け出ない原因だろう。 第二に、社会主義をめざす労働運動、という言い方をこれまでしてきたが、これはつまり、労働者階級が世の中をどのようにひっくり返すのかという手だてを考えねばならない、ということだ。そのときぜひ議論の対象としてほしいのは、社会主義の中味、あるいは必要性ということと共に、何よりも、社会主義に至る我々の原点は何であるのか、ということだ。現状規定からすれば.今の政治闘争、反合闘争が個別の枠を越え、地域・全国へと波及する、そして正面から権力とぶつかっている状況のなかで、職場のオッチャン、オバチャンから「独占資本を倒すんだ」という言葉がでてきている。我々がそれに対してどう応えてゆくのか。「それは革命だ」と言えば済むのかどうか。それはともかく、今までの「左翼の」運動というよりも、闘争が究極的に行きつくところとして、結局これは、世の中ひっくり返さんと勝たんのだ、政治闘争、反合闘争も勝てんのだ、国家独占資本が仕掛け人だから、そこまで攻めのぼるんだというエネルギーこそが、われわれが議論する場合の原点だと思う。 ではそれをどのような回路で実現するかという場合、”労働組合主義=サンジカリズム“というものがある。たとえば労働組合がどれほどオールマイティになって、あらゆる労働者の組織化に取組み、政治闘争もするし三里塚で闘いをするとしても、やはり労働組合の限界があることははっきりしているだろう。そのことについて無自覚なままで、労働組合の枠内で堂々めぐりとしていると、逆に労働組合という枠に縛られて闘争の発展が疎外される。だから、労働組合主義という、はっきり言えばわれわれの現状に自覚をもつべきだということだ。なぜかといえば、よその側からは、われわれの運動が労働組合主義だとレッテルを貼られていることもあり、そういう段階だと決めつけられれば、そういう気がしないわけでもないわけだ。けれど、少なくとも労働組合主義かどうかが自分でわからないのが一番重病だから、次なるわれわれの発展は何か、これを(幹部だけでなく)全体で討論することが必要なのだといえる。 いいかえれば、われわれの現在の闘争の必然的発展としての我々の階級形成―そうした文脈の上で社会主義をめざす労働運動ということを明確にしたい。その観点で、自主生産【組合管理】の問題ももう一度議論し直す必要があろう。たとえば、生活保護寄こせという要求がそれほど「革命的」ではないかもしれないが、その要求が改良的な要求として、出されるのか、あるいは過渡的な要求として出されるのかで、ずいぶん違ってくるのではないか。同じ要求を出すのであっても、それで事足れりという運動をしているのであれば、我々はそれを改良主義だと批判しなくてはならない。しかしながら、これが独占資本へ攻めのぼる過渡的な要求・政策だというのであれば、同じ要求でも肯定されることにもなる。だから、その点について、要求が革命的であるかないかという議論に終始しても仕方ないが、結局のところはどうなのかを、自主生産の場合についてもその場その場で総合的に批判して議論すべきではないかということだ。 同時に、世の中をひっくり返すという問題を出してくると、全国の闘争拠点を結ぶということだけでなしに、もっと大規模なものを考えねばならない。たとえば自術隊をどうするのか?、といった問題も出てくるだろう。しかし.今の議論の段階では、それよりもゼネストの問題について考えねばならないだろう。というのは、世の中をひっくり返すという場合、政治ゼネストは必要なしと言う人はいないと思うが、あればいいというだけでもない。絶対必要となるのではないか。そうすると、政治闘争の不十分さをどうするかという議論にとどまっていては話にならないわけで、文字通り全国的な政治課題.政治ゼネストへと発展する、いわば決戦戦術がなければ、世の中をひっくり返すことなど叫んでいるだけでは無意味なのではないか。何も今すぐ政治ゼネストをやろうと言っているのではない。しかし、単に政治ゼネストをやるのも悪くないと夢想するのでなく、今までやってきたわれわれの運動に、一方ではその限界も感じるが、逆にまたそれに自負も持ちながら、次なる発展段階の道筋を考えてゆくという意味で、政治ゼネストという問題も考えてゆきたいと思う。 さて、この大阪集会の基本である全国結集を、何故我々はかちとるのか、という問いに触れたい。これまで言ったなかで既に理解されることでもあるが、この間の全国闘争というのは、全国的裸題というのがあって、それを取りくむことが全国闘争だと言われてきた。それはとくに政治闘争の面で必要なことだと思うが、しかしながら一方で地域共闘を全国化するという必要性が重要ではないか。我々の悪しき分業意識からすると、これまでは「政治闘争は全国闘争で、反合闘争は地域共闘」といった図式が一般的だった。しかしこうした分業は止めて、たとえば争議について、全国の争議の一大共同行動、また場合によっては「ある争議組合に対する全国一斉の支援行動」そういう具合に全国闘争のなかに明確に労働争議を位置づける必要があるのではないか。同時に地域共闘についても、以前は全国各地の自衛隊の駐屯基地にデモをかけたりしたが、最近はどうもそういう闘いが弱い。つまり、地域における政治闘争―それが小さな集会やデモから始まるのでもいいから、やってゆく必要があるのではないか。 そうした意味で、ここで再度、地域と全国を結ぶという必要性があると思う。そのとき、総評なり社会党なりにそういう闘争がないかといえば、あることはあるといえる。そういう闘争の中味に我々が手をかけて、本質的なものに迫っていく必要があるのではないか。「社会党・総評をどうするかという議論は消耗だ」というのでなしに、これについても緊急に考えたい。各地域・地方においては、県評とか地区労といった闘争機関の機能がおそろしく低下しているが、やはり我々が、大胆に地区単位の闘争機関の強化をはかる必要があるのではないか。また、そうした理想的な共同闘争の形成のなかで、いかにIMF-JCと正面対決してゆくのかという課題が、今日の職場・地域の代表が集うこともふくめて、立てられるべきではないかとも考えている。  

労組周辺動向 No.45 2018年10月5日現在

労働組合に関係がある法律をめぐる動きや裁判での判決、闘い、周辺情報など、今後の組合活動にとって必要と思われる情報を掲載します。 今号の主な内容は:・労働政策審議会でパワハラ、セクハラ対策で隔たり・中央教育審議会が教員の時間外労働月45時間案を議論:罰則なく疑問視も・派遣賃金の目安、初めて提示=統計基準と同等以上-厚生労働省

対政府交渉は11月5日に

今年の対政府交渉は11月5日(月)に衆議院議員会館で開催されることになった。立憲民主党・阿部知子衆議院議員の協力のもとで、厚生労働省・文部科学省・日本年金機構の担当者と、全国一般中央本部、ゼネラルユニオンを含むその傘下組合との間で、以下に述べる4つの課題についての交渉が行なわれる。 要求書は現在、関係労組間で最終調整中である。 1. 大学・教育委員会での講師委託についてこれは例年取り上げられている課題である。

東大阪市ALTが契約更新上限に抗議してハンスト突入

ゼネラルユニオン・東大阪市ネイティブ英語教師組合支部(HONETU)は、東大阪市に雇用され、市立中・小学校で働く、英語を母国語とする教師の組合です。私たちは3年前、東大阪市・教育委員会が本人に何の断りもなく、外国人教師の雇用契約に、更新の回数上限を入れたことから、市・市教委と争議を行っています。 市・市教委は2年前、大阪府労働委員会の斡旋で雇用延長の暫定的合意に達したにもかかわらず、合意事項である「誠実な交渉」を拒否しています。 このため、まともな交渉もできないまま、私たちの仲間の1人が3月末で雇用契約期限を迎え、自動的に解雇されようとしています。また、雇用保険に加入させないという、行政として、あるまじき法違反も発覚しました。東大阪市・市教委に、この外国人差別の雇用期限を撤回させるため、圧力をさらに強めていくことが不可欠です。これは外国人だけではなく、日本人を含む、すべての、有期パート労働者の問題です。3月15日正午からは、市役所玄関で無期限の抗議ハンストに突入します。ぜひ激励においで下さい。また、東大阪市・市教委教育長宛に抗議の手紙・ファックスを送って下さい。  

語学産業トーザで大型倒産=労組が全面支援で活躍

1982年に設立された英会話学校「トーザ」は、テレビや地下鉄車内広告などで派手な広告をし、短期間で全国大手チェーンとなり、最盛時には関東・関西の各駅前で十数校の展開となった。しかし、関東進出が過大だったこともあり、傾き始めた。96年12月には、関西の各学校を分離、別会社「アレス」を設立したが、オーナー社長も同人物、学校名も「トーザ」であり、意味をなさなかった。ゼネラルユニオンが開催している英語ホットラインに、3年位前から「外国人講師への貸金遅配」という信じられない労基法違反の相談が寄せられ始めた。 会社に抗議すると、直ちに賃金は支払わるのだが、また繰り返される。とうとう「二度と遅れません」と社長名の謝罪文まで各くハメとなった。だが、社内では「ゼネラルユニオンはうるさいから外国人だけは遅配するな」という指示が出ていた。日本人スタッフへの遅配は改善されず、労組のなかった関東では2~3カ月の遅配さえ発生していた。3月に関東では8校に半減、4月2日には「家賃の不払」で、渋谷・お茶の水校も閉鎖。生徒と職員のパニックが一挙に拡大した。倒産手続きさえせず、トップが経営を放置するなか、生徒が詰めかけ、各窓口は混乱の極に達した。4月10日、矛盾と危険を感じた教職員は、一斉に学校から避難したが、そのあと会社は、「弊社従業員のストライキのため閉鎖」との虚偽掲示を各校前にした。いくら働いても賃金が出ず、生徒との対応で疲れ切った未組織の教職員に、このレッテルは残酷だった。数日後、怒った生徒たちの映像が、テレビや新聞をにぎわし始めた。そして、全労協東京労組や全労連全国一般にも駆け込みが始まった。 これ以前の2~3月、関西でもトーザ(アレス)の日本人女性スタッフ20名が揃ってゼネラルユニオンに加盟してきた。東京からの混乱した情報が急を告げ、関西でも一カ月の遅配があるなど、ひとごとではなかったからだ。しかも生徒から「トーザは大丈夫か」と間かれ返事に困るなど、ストレス一杯の毎日。そのため労組で出会った日本人・外国人たちは「生徒に迷惑がかかる可能性がある。新規の入学受付はストップしよう。過去2年間のサービス残業を復元し申告しよう」「入金を本社に送らず、集金ストを」などと、連日深刻な討議を始めざるを得なかった。 3月以降の団体交渉には、佐藤社長を引きずりだし、全員で怒りをぶつけた。社長はもはや抵抗できず、非常時用の労働協約に署名した。だが、このことは「倒産必至」ということでもあった。 4月11日、関西各校の教職輿を対象とした緊急説明会が、ゼネラルユニオン・トーザ支部主催で開かれた。数十名収容可能な大阪教育合同労組の会議室に150名もの人が出席し、喧騒の中、会場に入りきれない、80名の外国人講師は、いつも、ゼネラルユニオンがバーベキューに使用している近くの河畔公園に移動。暗がりでブルーシートを何枚も敷き詰め、ハンドマイクで英語の緊急集会が続く、という事態となった。 一方加盟の大半が女性の日本人集会は、会議室で、立ち見など満員電車状態で開催された。「できる限りのレッスンを継続」を両集会で決議したものの、倒産はカウントダウン状態となっていた。この夜だけで、新たにゼネラルユニオンに加盟した人は、100名を越えた。翌日、無責任に逃亡した社長に代わって、ゼネラルユニオンの記者会見が大阪地裁でもたれた。「悪いのは乱脈な経営者であり、被害者は生徒と教職員」「前売りレッスン券乱売などNOVAをはじめとする業界全体に警鐘を」といった訴えは、テレビと新聞に大きく取り上げられた。そして、同趣旨の労組アピールは、関西の全校玄関にも掲示された。 会社は「閉鎖」以外、法的手段の準備さえしておらず、自己破産もやっと5月、申し立てたところだ。被害生徒は全国で1万人、未使用チケットの前払い金は約30億円という。桂三枝さんが中国語の生徒だったこともあって、吉本興業からも激励があるなど、ゼネラルユニオンの電話が鳴り響いている。そこではトーザの組合員が「返済の終わっていないクレジットについては返済不要。銀行口座自動引き落としの解約と相手への通告」などをアドバイスしている。 一方、ほぼ全国大手の英会話学校全社にゼネラルユニオンの支部があることから、「トーザの未使用チケットを、労組の紹介により、無料で他社でも使える」制度が具体化しつつある。組合たちはその一方で、自らの雇用保険・未払賃金立替払制度・ビザ更新などの、加入や支給作業のため、労組会議室に出勤し、ボランティアで挑んでいる。また、対立させられてきた教職員と生徒たちは、労組と生徒会という形でスクラムを組み始めた。 「業界各社はもっとまともな経営をしろ」「行政の責任はないのか」という声も高まっている。この大型倒産をパニックと、労組と消費者との美談だけに終わらせないため「社長がいなくとも、我々だけで自主識座が続けられないものか」などの模索も始まった。