なぜメーデーがあなたの日とされるのか

5月 16, 2023

5月1日、今年もある歴史についてのお決まりの記事でしょうか。という前置きは無視、い
や、早送りボタンでスキップしましょう。

1886年5月、8時間労働制を要求して大規模なストライキを行ったアメリカの労働者を記念して、1889年5月1日に最初のメーデー(国際労働者デー)が開催されました。

この日のデモは、労働者と警察の衝突に発展し、後に「ヘイマーケット事件」と呼ばれる事件となり、双方に複数人の死者がでました。それ以来、労働組合、労働運動家、共感する政治家などが、毎年5月1日に集い、仲間の労働者と共に歌い、叫び、旗を振ってこの活動を牽引してきました。

日本では1920年に初めてメーデー集会が開催されましたが、政府の社会運動に対する取り締まりの強化により、1936年から10年間非合法化されました。政府はピクニックに見せかけた集会を警戒し、人数の多寡にかかわらず禁止にしました。

戦後初のメーデーは、1946年に行われた「食糧獲得国民集会」で、東京都で開催され、数十万人のデモ隊による食糧難や吉田茂政権に対する抗議が行われました。

メーデーのイラスト(アメリカ)

メーデーの背景は劇的なものであっても、現代の私たちには響かないかもしれません。その理由は、100年以上前の労働者階級の人々とは、ほとんど共通点がないように感じられるからです。さらにいうと、大企業の販売キャンペーン、ペプシの記念缶、テレビのメーデー特集等をみても、メーデーには華やかさはなく、むしろ、世間的には汚点であるかのように表現され、これまでメーデーのことを知らなかったとしても、咎められないでしょう。

この意識こそが、まさになぜメーデーがあなたの日とされるのかを伝えたい理由なのです。

かつてアメリカ鉄道労組の会長で、アメリカ社会党の大統領候補を何度も務めたユージン・デブスは、国際労働者階級の祭典としてのメーデーの重要性を以下のように語っています。「メーデーは労働者階級の国際的な日であり、世界中の労働者が連帯し、自分たちの地位を向上させる決意を共通の表現を介して、手を取り合う日である。世界中の労働者が互いに忠誠を誓い、すべての人のためにより良い未来を実現する決意を表明する日である。」

メーデーのポスター(オーストラリア)

このように、自分の仕事に基づきまとまった自己認識の考えは、現代の私たちの大多数にとって表面的なものに感じてしまいます。もちろん、私たちは皆さまざまな文化的背景・ユニークな趣味や興味を持ち、さまざまなスポーツを楽しみ、さまざまな食べ物を食べ、さまざまな言語を話しています。

しかし、ある意味で1日のうち最も影響力のある部分は、他の労働者階級者と同じことをすること、言わば一生懸命働き、指示を受け、反復性ストレス障害を負うことに費やされています。

また、毎年少しずつ労働者に負荷をかけるような構造である企業の官僚機構の一部としてうまく利用されています。そのような状況にもかかわらず、職場ではしばしば本音で語り合うことが禁じられているのです。自分の権利、給料、福利厚生、望む変化、あるいは自分が憤慨している不公平についてお互いに話せば、「トラブルメーカー」のレッテルを貼られ、パワハラや明らかな嫌がらせによって口封じされることになります。

メーデーのポスター(日本)

簡単に言うと、ほとんどの上司はメーデーが呼びかけているような、自分自身を考え、表現することを望みません。メーデーは文化を超え、世界中のすべての人々を銀行の預金、人生の目標、老後の生活、毎晩大切な人と一緒に食べる食事へも密接に結びつける唯一の祝日です。

メーデーは私たち労働者に語りかけ、上司による妨害だけでなく、1世紀以上にわたる政府の抑圧や抹殺の試みがあったにも関わらず、私たちが共同体であることを思い出させます。例えばドイツのナチス党は1930年代、労働運動家を残酷に弾圧し、投獄し、殺害すると同時に、メーデーの共同利用を試みました。しかし、メーデーはそれを乗り越えました。

1950年代、赤狩りの真っ最中にあったアメリカ政府は、国際労働者デーをより反体制的でないものに置き換えようと、5月1日に忠誠の日(アメリカ国民がアメリカ政府への忠誠を確認する日)を制定しました。しかしまた、メーデーはそれを乗り越えました。

メーデーのポスター(ドイツ)

日本では1952年の「血のメーデー」と言われ、武装警察が群衆に実弾を撃ち込み、1人が死亡、多くの人が負傷した事件がありました。

今日に至るまで、世界中の政府がメーデーに労働組合活動家を弾圧し、労働者階級のスローガンや歌を検閲しています。しかし、過去から現在の抑圧にも関わらず、またメディアや政治家の不可知論にも関わらず、さらには世界中の他の素晴らしい祝日を支えるような華やかさがないにも関わらず、メーデーはここ、そして世界中で私たちと共にあります。そして、この日が私たちと共にあるのは、とてもシンプルな理由、あなたのためです。

仕事をする人たちがいる限り、表現、理解、共同体への追及があり、そして、国際労働者デーは、あなたを理解する何十億人もの人たちと一緒に、前述のような親密な方法で、自分の労働階級を誇りに思えるようにと設けられたのです。

だからこそ、メーデーはあなたの日なのです。